今日ということ
2002年6月10日「今日」とはなんだろうか?
皆さんは「今日」をどのように定義しているだろうか。
実はボクはこの「今日」というものを何時から何時までと線引きすることが苦手だ。
この「今日」を定義できない原因の一つに、徹夜したり深夜まで仕事したりする生活があるのは間違いない。
もっとも原因などわかったところでしょうがないのだが。
さて話をもどうそう。「今日」の線引きをできないと何が困るのだろうか。
そう日記だ。日記をつけることが難しくなるのだ。
ボクは日記とは今日を締めくくる行為だと認識している。
その日の終わりに、日あったこと、想ったことを旬のうちに綴る行為だと思っている。
つまり「今日」が終わらなければ書くことができないのだ。
そして、「今日」が終わるのを待つことで、面白いことや言いたかったことの新鮮さが薄れたり、タイミング的に書くことが無意味になってしまう。
こうして、日記として書かれるはずだった想いと言葉はボクの心の中でだけ消化されていってしまうのだ。
ということで、このダメ人間観察日記はあまり更新されることがないのはこうした理由からであって、メンド−だからとか、お酒飲んじゃって寝ちゃったからとかじゃないのです。
イヤ、マジで!本当だってば!
サボってる言い訳じゃないんだってば!
皆さんは「今日」をどのように定義しているだろうか。
実はボクはこの「今日」というものを何時から何時までと線引きすることが苦手だ。
この「今日」を定義できない原因の一つに、徹夜したり深夜まで仕事したりする生活があるのは間違いない。
もっとも原因などわかったところでしょうがないのだが。
さて話をもどうそう。「今日」の線引きをできないと何が困るのだろうか。
そう日記だ。日記をつけることが難しくなるのだ。
ボクは日記とは今日を締めくくる行為だと認識している。
その日の終わりに、日あったこと、想ったことを旬のうちに綴る行為だと思っている。
つまり「今日」が終わらなければ書くことができないのだ。
そして、「今日」が終わるのを待つことで、面白いことや言いたかったことの新鮮さが薄れたり、タイミング的に書くことが無意味になってしまう。
こうして、日記として書かれるはずだった想いと言葉はボクの心の中でだけ消化されていってしまうのだ。
ということで、このダメ人間観察日記はあまり更新されることがないのはこうした理由からであって、メンド−だからとか、お酒飲んじゃって寝ちゃったからとかじゃないのです。
イヤ、マジで!本当だってば!
サボってる言い訳じゃないんだってば!
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